61、62年、女性酒害者が激増している状況にかんがみ、女性一般を対象とした酒害啓発研修会を、日本船舶振興会の補助金により実施し、併せて女性酒害者の全国縦断組織の結成を目指した。
61年7月、約1週間の予定で各断酒会の有志が訪欧旅行を行った。大野理事長、鷲山副理事長他総勢25名で、スウェ-デン、フランス、イギリスを歴訪、スウェ-デンではレンカナ(スウェ-デン断酒会)、フランスではパリAAグループ本部を訪れ、交換し、友誼を深め、日本の断酒会の国際化の新たな一歩をしるした。
62年 5月19日、東京・永田町の自民党本部8階会議室で、アルコール問題議員懇談会が開催された。懇談会は衆議院議員戸塚進也(静岡)を幹事役として発足し、求めに応じて厚生省から小林精神保健課長以下3名、全断連から、大野、杉野、高木、上原が出席した。
戸塚議員より「本日は、厚生省当局よりのレクチャ-、自助グループとしての断酒会の活動などのヒヤリングがしたい」との挨拶があり、全断連より断酒会の歴史的経過や、現在の情勢、活動方針などを詳細に説明。厚生省小林課長は61年10月 9日付、公衆衛生審議会の「アルコール関連問題対策に関する意見」を中心に、各種関連資料について厚生省の方針並びに立場を説明し、・アルコール販売に関する広告規制、・野放しの自動販売機の規制などについて、国会議員の協力を力強く要望した。
最後に小泉純一郎衆議院議員(神奈川)より、「全断連に対し、特に酒害予防についての社会的要望は大きいものがある」との挨拶があり、今後月1回程度の開催を約して散会した。
全断連では、60年 9月の保健文化賞受賞を期に全断連の歌を制定することにし、歌詞を公募(作曲は専門家に委嘱)し、全断連の歌制定委員会が応募作品の選考作業にあたった。
優秀作品となったのは、兵庫県芦屋断酒会の山本淳二氏の作品で、力強いタッチで覚えやすいものとなっている。また、作曲の方は北海道の桑山眞弓氏に依頼し、マ-チ風の軽快なリズムの曲ができあがった。なお、この"全断連の歌"は第24回三重全国大会で正式に発表された。
広島県内の断酒会の草分けで、アルコール依存症からの回復活動に半生を捧げた、熊野久夫広島断酒ふたば会会長が63年 1月14日、64歳で亡くなった。重度の依存症を克服した体験を生かし、断酒活動にすべてを投入した信念の人であった。 58年 4月からは全断連の副理事長を務めていた。
第1回全断連久里浜セミナ-は、全断連本部事務局主管のもと、63年 9月17日,18日の 2日間にわたり、わが国アルコール医療の基点ともいえる国立療養所・久里浜病院内「研修棟」を使って開催された。以後、毎年1回開催され、現在は久里浜病院が手狭になったため、研修地を葉山に代え葉山セミナ-と改称し継続開催されている。
全断連第25回全国(広島)大会並びに全断連創立25周年記念事業の第1回アルリンピックが、63年10月15、16日広島市で盛大に開催された。大会前日には関連行事として、交歓会(542名)、家族の集い(490名)、アメシストの集い(73名)、虹の会(74名)、そして、第1回アルリンピックのハイライトであるシンポジウムとレセプション(440名)が、それぞれの会場に分かれて同時開催されたが、どの会場も熱気につつまれ有意義なものとなった。
特に第1回アルリンピックの開催は、大野理事長の「アル中に国境はない」、それを超越して同じ病に悩む人々のために奉仕し、人類の福祉と世界平和に貢献することを共通の使命にしたい、という夢が開化した瞬間であった。
今回はスウェ-デンのレンカナ、ニュ-ジ-ランドのアラック、ブラジルの自助グループと参加国は少なかったが、国立療養所久里浜病院長河野裕明氏はじめ、多くの顧問の先生方、行政、医療、報道諸機関の支援によって、社会に投じた波紋、効果は計り知れないものがあった。
大阪府断酒会は、酒害者の再発防止を目的に昭和41年に設立、53年に社団法人化され、現在会員数1,300名、54断酒会を組織化している。また、断酒会員の中から酒害相談員を養成したり、独身者や女性酒害者にきめ細かい活動を行うことで、より酒害相談事業の効果を上げている。愛隣地区においても酒害相談活動に積極的に取り組み、全国的にも先駆的な役割を果たしている。この業績が認められ、63年10月 6日第40回の受賞となった。